東京高等裁判所 昭和34年(う)2435号 判決 1960年5月17日
控訴人 被告人 今村貞宗 他一名 弁護人 山菅正誠
検察官 天野武一
検察官 山口鉄四郎
主文
原判決を破棄する。
被告人今村貞宗を罰金一万円に、被告人川手幸男を罰金五千円に各処する。
被告人等において右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
被告人等に対し公職選挙法第二百五十二条第一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を各三年に短縮する。
理由
検察官控訴の趣意は甲府地方検察庁検察官検事天野武一作成の控訴趣意書記載のとおりで、これに対する被告人等の答弁は弁護人山菅正誠作成の答弁書記載のとおりであり、被告人両名控訴の趣意は弁護人山菅正誠作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。
弁護人の論旨第二点について。
原判決挙示の証拠を総合すると、原判決判示事実はすべて優にこれを認めることができる。即ち原判決挙示の証拠によると、被告人今村貞宗は、広報課長として、被告人川手幸男は広報係長としていずれも山梨県総務部広報課に勤務し、広報宣伝に関する事項その他の事務を担当していたものであるが、被告人等は予て山梨県知事天野久の二期に亘る県政を強く支持し引続き三期在任を希望していた折柄、来るべき昭和三十四年二月一日施行の同県知事選挙に天野久が三期出馬を声明するや、右広報課において発行する「県庁だより」昭和三十四年一月一日号No. 91の巻頭に、山梨県知事天野久の「年頭にあたつて」と題する挨拶を掲載するに当り、原判決摘示の如き文案を被告人川手幸男が起案し、被告人今村貞宗がこれに修正決才し更に上司の決才を経て、ここに被告人両名はかかる文章は天野知事の選挙戦には効果があることを知り且つこれを読んだ県民をして天野県政を理解し天野候補を支持支援してくれることを期待しつつこれを右「県庁だより」に登載し、原判決判示の如く頒布したことが明らかである。論旨は本件「県庁だより」に記載された「年頭にあたつて」なる文章は山梨県知事天野久が県民に対して表明した年頭の挨拶であつて選挙運動に使用する文書ではない。蓋し知事が年頭に当り前年迄の県政の実績を述べ、将来の県政の方向を示し、以て県政に対する県民の支援支持協力を要望することは、知事の職務乃至立場上極めて当然の事理であり社会の通念である。故に本件「県庁だより」に記載された文章のうち原判決の指摘したような文詞が断片的に散在するからといつて本件文書を天野久の選挙運動のために使用する文書と認定したのは経験則に反すると主張する。しかし原判決判示「県庁だより」一月一日号No. 91巻頭の「年頭にあたつて」という文章全体を見ると「……昨年十月には自由民主党山梨県支部連合会の大会で知事三選出馬要請決議まで戴きましたので、私は意を決して来るべき知事選への出馬を声明いたした次第であります」として昭和三十四年二月一日施行の知事選挙に三度立候補を決意した旨を述べた後、山梨県を開発し、道路交通網を新設拡充して県内産業の飛躍的発展を期すべき施策の完遂のためには、まだまだなすべき多くの仕事が残されており、「この政治をより正しくより強力に進めて行くためには県民皆様の固い結束と一致した御支持と御支援のきづなが絶対に必要不可欠なものと存じますので、郷土山梨の発展のため今年もまた何とぞ倍旧の御支援を賜りたく御願い申上げます」と述べているのであるから、これを以つて専ら天野知事が前年迄の県政の実績を述べ将来の県政の方向を示し、県政に対する県民の支援支持協力を要望しただけのものとはいい難い。のみならず記録によれば、本件「県庁だより」の発行頒布はすべて県費によつて賄われ、その発行部数は約二千部で、その大部分は県内市町村役場、農業協同組合、中学校、公民館、図書館、その他県内の主要官公署、行政委員会、理容業者等に無料頒布されることが明らかであるから、右文章は、原判決判示知事選挙に際し、立候補を決意した天野久の当選を得るために選挙人を含む一般県民の支持支援をも要望したもので選挙運動に関係あるものといわなければならない。公職選挙法第百四十二条が、選挙運動としての文書図画による言論活動を規制する趣旨は、すべての公職の候補者をして平等の条件のもとに公平にして公正な選挙運動をなさしめる趣旨であるところ、もし所論のように本件「県庁だより」の右文章を以つて知事の県政の実績並びに抱負を述べ県民の県政に対する支持協力を要望したものとして、これを自由に頒布することを許すものとすれば立候補し又はこれを決意した現職にある知事は他の候補者又は立候補を決した者に比し不当に有利な条件の下に立つこととなり公職選挙法の右規定の趣旨を没却し到底容認し得ないところである。原判決の事実認定は所論のように経験則に反するものではなく、被告人等の所為は、公職選挙法第百四十二条の禁止に違反するといわなければならない。また記録を精査するも原判決には何ら事実の誤認はないから論旨は理由がない。
弁護人の論旨第一点について、
原審公判廷における被告人両名の供述及び原審弁護人の弁論を綜合すると、被告人等は、原審において被告人等の本件文書の頒布はその担当する公務上当然の職務としてなした正当な行為であるから刑法第三十五条により処罰さるべきではないとの趣旨を主張したものと解すべきである。従つて右は法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実上の主張に該当するから、刑事訴訟法第三百三十五条第二項により有罪の言渡をする判決においては、これに対する判断を示さなければならないのに、原判決はその判断を示していないことは所論のとおりであつて、右は前示法条に定める訴訟手続に違反したものといわなければならない。
しかし、本件記録に徴すれば、なるほど被告人今村貞宗は、山梨県総務部広報課長として、又被告人川手幸男は同課広報係長として、いずれも原判決判示の如く、同課において県政一般を県民並びに関係機関に周知徹底させる目的で発行する「県庁だより」の原稿の執筆収集等その編集発行の事務を担当していたものであることが認められるので、右「県庁だより」の巻頭に掲載すべき同県知事名義の挨拶文を起案し、所定の手続を経てこれを掲載頒布することも被告人等の職務であるというべきであることは所論のとおりであるけれども、その挨拶文の内容若しくはこれを頒布することが選挙の公正を害し、法令に違反するような場合にはその違法な文章を執筆掲載し又はこれを頒布することは、被告人等の正当な職務の範囲を逸脱するものであつて、被告人等の判示地方公務員としての職務とは認められない。しかるに被告人等の執筆掲載し頒布した原判決判示「県庁だより」昭和三十四年一月一日号No. 91の「年頭にあたつて」と題する山梨県知事天野久名義の文書は、既に論旨第二点において説明したとおり、山梨県知事天野久の選挙運動のために使用する文書と認められ、これを頒布することは、公職選挙法第百四十二条の禁止に反した行為であるから、かかる文書を頒布することは被告人等の地方公務員としての当然の職務とは認められないから、被告人等の所為は正当の業務に因りなした行為として処罰を免れ得るものではない。それ故原判決の前記訴訟手続に違反した違法は結局判決に影響を及ぼさない。論旨は理由がない。
検察官の論旨について。
所論に鑑み記録を調査し、これに現われた本件犯罪の動機、態様並びに被告人等は地方公務員でありながら公の機関を利用し、公の選挙において特定の人を支持する目的で本件文書を頒布した点等を総合すると、原判決が被告人等に対し罰金刑の執行を猶予する旨言い渡したのは量刑不当といわなければならない。論旨は理由がある。
以上の如く検察官の量刑不当の論旨は理由があるから、弁護人の量刑不当の論旨第三点に対する判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により更に次のように判決する。
原判決が適法に確定した事実に法律を適用すると、被告人等の所為は公職選挙法第百四十二条第一項、第二百四十三条第三号、刑法第六十条に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で被告人今村貞宗を罰金一万円に、被告人川手幸男を罰金五千円に各処し、被告人等において右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条により金二百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。尚公職選挙法第二百五十二条第三項により被告人等に対し同条第一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を三年に短縮するを相当と認め主文のとおり判決する。
(裁判長判事 岩田誠 判事 渡辺辰吉 判事 司波実)
弁護人山菅正誠の控訴趣意
第一点原判決は刑事訴訟法(以下刑訴と略称する)三三五条二項の判断を遺脱した点において訴訟手続の違反があり右手続の違反は判決に影響を及ぼすことが明かである。以下これを詳述する。
一、山梨県庁中処務規程は地方自治法一五条六項に基き昭和二四年八月一日同県訓令甲第一二号を以て制定せられ、爾来毎年幾多の改正を経ているが昭和三三年一月現在の同規程(資料として本控訴趣意書正本に添附する)第九条によれば「広報宣伝に関する事項」は総務部広報課の分掌事項である。而して判示「県庁だより」は判示の如く「県政一般について広く県民及び県関係機関に周知徹底させる目的を以て」昭和三一年六月創刊し当初は毎月三回五の日に各一、五〇〇部を発行していたが、昭和三三年四月以後は毎月一日一五日の二回各二、〇〇〇部を発行し、創刊以来一定せる機関団体及び個人に県文書課を通じ配布しているものであつて、右発行及び配布の費用は総て県費を以て支弁しているものである。又その発行に当つては総務部長が広報課長の意見を徴して編集計画を決定し、広報課の担当職員は右計画に基き、原稿を作成又は収集し、同課長はこれを取捨選択し且所要の修正を加へて原稿に中間的決裁をなし、更に総務部長において代決事項として最終的決裁をなした上、該原稿の印刷を発注し、印刷製本完了後これを既定の配布先に対し県文書課を通じ発送することに決められていたものである。
二、被告人今村貞宗は判示の如く昭和三一年六月から同三四年七月まで山梨県広報課長の職に在り、又被告人川手幸男は判示の如く昭和三三年一〇月以来同課広報係長の職に在る者である。従つて判示の昭和三四年一月一日発行の「県庁だより」第九一号、(以下本件文書と略称する)の発行及び頒布は被告人両名が何れも山梨県総務部広報課所属の公務員としてその分掌職務上これに関与したものである。
三、被告人今村は(1) 印昭和三四年四月二日原審第一回公判において公訴事実に対し「本件冊子は選挙運動のためにことさら発行したものではありません。これは毎月一日と一五日に発行する定期刊行物で年頭に知事の挨拶を載せることは毎年の例になつています。広報は事実を発表するためのものであり、毎日の新聞やラジオで繰り返し報道されていることを一編の経過報告として掲載したものであつて、天野候補を支持するため掲載したものではありません。発行部数はいつも二千冊で配布先は決つており、本件冊子も決つたところ以外には配布してありません。配布方法は庁内の場合には文書課を通じて係員が配布し庁外の場合には郵送しています」と供述し、(記録二〇丁)。(2) 同第四回公判においては「天野知事の年頭にあたつてと題する文章(本趣意書においては以下本件文章と略称する)は広報係長の川手幸男が起案し、私が目を通して上司の決裁を受けたものであります。私としては広報活動の仕事は県民に県の行政を知らせると共に又知らせる義務があるとの考え方で事務的にやつたものであります」(三五九丁裏――三六〇丁表)、「私は公務員であるから知事に対し奉仕しその責務を全うしたので……」(三六一丁裏)と夫々供述している。
四、被告人川手は前記原審第一回公判において「被告人今村の陳述のとおり正当な職務分担に基き事実をありのままに報道したに過ぎません」(二一丁表)と供述している。
五、原審弁護人は昭和三四年九月三日原審第五回公判において別紙弁論要旨記載の通り弁論しているが、右弁論要旨中には「本件広報活動には違法性なく違反事案ではない」(三六七丁)の記載がある。
六、以上二乃至五の被告人両名及び原審弁護人の原審公判における主張事実は要するに本件文章を含む本件文書の発行及び頒布は被告人両名が公務上なした正当な行為であるから刑法第三五条により該行為の違法性は阻却せられると謂うに在り、従つて右主張は法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実に該当すること極めて明白である。故に原審判決は刑訴三三五条二項により右主張事実に対する判断を示し右主張事実を如何なる理由により排斥したのかを、事案の特殊性に鑑み周到詳密に説示するを要するに拘らず、原判決が右主張に対して一言半句だに言及する所のないのは明らかに刑訴法の右条項に違反し判断を遺脱し訴訟手続に違反したものであり、右の手続違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れないものである。
第二点原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明かである。左にこれを詳述する。
一、原判決は山梨県知事天野久名義の、「年頭にあたつて」なる文章を掲載した本件文書を以て昭和三四年二月一日施行の同県知事選挙に際し立候補した天野久の選挙運動のために使用した文書であると認定したが、本件文章が天野久の選挙運動に使用する目的を以て本件文書に掲載せられたとの認定は事実の誤認である。その理由は(1) 本件文章は虚心坦懐にこれを通読すればそれは一般に現職県知事の年頭の挨拶の文章としては極めて普通の文辞から成つているものである。蓋し知事が年頭に当つて前年迄の県政の実績を述べ将来の県政の方向を示し、以て県政に対する県民の支援支持協力を要望するは知事の職務乃至立場上極めて当然の事理であり、社会の通念であるからである。故に二頁に及ぶ稍々長文の本件文章中に「昨年十月には自由民主党山梨県支部連合会の大会で知事三選出馬要請決議まで載きましたので私は意を決して来るべき知事選への出馬を声明いたした次第であります」とか、その他判示の如き文詞が断片的に散在するからといつて、直に本件文書が知事選において天野久候補の当選を目的として使用する文書であると認定することは経験則に反する。即ち右文章は例年の通り(本件押第二六号の五、昭和三三年一月一日発行県庁だより第六七号巻頭の山梨県知事天野久名義「新年を迎えて」並に添附疏明資料「県庁だより」第六六号の知事天野久の「昭和三十二年を送るに当つて」同第九〇号「昭和三十三年を送るに当つて」参照)。天野久が現職知事の立場においてその名義を以て県民に対し表明した新年の辞であり、その意図する所は県政の重点事項について、その進捗状況と主たる問題点とを県民に周知させ、県政に対する県民の強力な支援、支持、協力を求めるに在ることは行文の全趣旨によつて容易に看取せられる所である。而して本件文書の天野久候補の選挙運動を目的として使用される文書でなかつた事実は既に援用した両被告人の供述により明かであり、又本件文書発送当時、被告人等は選挙法上当然許容せられていることであるにも拘らず「県政映画(記録映画)」の貸出しさへもこれを停止し、以て一般の選挙運動目的にあらずやとの疑惑を避止するに努めていた事実(記録三三一丁裏乃至三三二丁表)に徴してもこれを認めることができる。(2) 一方今村被告人の検事に対する供述調書中「……私はこの文書は天野知事の選挙戦には効果があるだろうと云うことは考えましたが、さような目的で狙つて出したものではありませんでした」との供述記載(三三〇丁裏乃至三三一丁表)に徴すると、同被告人には本件文書の発行頒布が天野久の選挙運動として効力があるかも知れぬとの認識換言すれば本件文書の目的性について、未必の故意を有していたと認定することは或は法律上不可能ではないかも知れない。(3) 又川手被告人は同人の検事に対する第二回供述調書中その五項において「私自身潜在的に天野知事が引続き県政を担当してもらいたいと一応思つて居りましたので……知事の気持を文章に表わす際自然に天野県政を立派なものであると云うことを一般に知らせるような文章になつておることは判つて居り、従つてこの文章を読む人達が知事選挙には天野知事を理解して三選を支援してくれるだろうと云う考えは当然あつた訳で、只あくまで天野県政を具体的によく知つてもらいたいと云う気持であり……勿論この文章を読んだ人は天野県政を理解し支持支援してくれることを期待して書いたものであり、そこに目標をおいたことは間違いありません」との供述記載(三五〇丁裏乃至三五一丁裏)がある。(4) 右(2) (3) の供述は一見して検事の誘導訊問に基くものであることが文章自体からにじみ出ているにもせよ右供述によれば被告人等は個人として本件文書が知事選における天野候補の当選に資する所あるべきを認識していた換言すれば被告人等は何れも本件文書の選挙運動に対する目的性を認識していた事実を一応認定し得るが如くである。然し乍ら両被告人の前記供述自体が取調に当つた検事の巧妙な誘導尋問に基くものであることは、(イ)今村被告人の原審第四回公判における「取調のときに検事さんより公明の広報活動をしたか、知事は信頼できる人か、広報の発行についての効果があるかと聞かれ、家族や職員の心配していることを考え問題を早く解決したい気持でいいかげんのことははいはいと返事をしました」との供述記載(三六二丁表)又同公判における弁護人の「違反ということが判つていて述べたか」との問に対し同被告人の答として「私が謝罪すれば職員にも迷惑が掛らないと考えはやくキリをつけたいと思つて心にもない返事をしました」との供述記載、(三六二丁表末行乃至同丁裏)。(ロ)川手被告人の前同公判における弁護人の「検察庁の調べの内容は供述調書にある通りか」との問に対する答として「只今今村さんが述べたと同じで取調官に引ずられた点もあり全般的印象は検事の意図により作成され多少思違の点もありました」との供述記載(三六大丁表)に徴してもこれを推認するに難くない所である。故に両被告人において本件文書が天野久候補の知事選に有利に作用する効果あることの認識があつたことすら頗る疑しいのみならず、仮りにかかる認識があつたとしても、選挙運動のために使用する文書とは、使用者において該文書の本来の使用目的が選挙運動に在ること即ち本件の場合天野久候補の当選を得させるという明確な目的観念を有すること、換言すれば該文書の本来の使用目的が選挙運動に存することについて本件被告人等に確定的故意を必要とし、未必的故意のみを以ては足れりとしないことはかかる目的犯については学説上の通説である。若し被告人等に如上未必の故意の存したるが故に本件文書の発行頒布が犯罪を構成するとするならば、県の広報誌には従来の慣例による知事の年頭の挨拶は本件文章の如く世間普通の形式内容を以てする場合であつてもこれを掲載するを得ないこととなる。又県広報誌はこれに県政の重要事項についてその成果並に将来の計画を記載することは結果的に知事の功績並に抱負を宣伝することになるから知事選挙期間中はその発行頒布を停止せざるを得ないこととなり、その限りにおいて県の行政重要部門たる広報機能はその活動を停止しなければならないことになる。かくの如きは選挙のために日常の県行政の一部を麻痺させることに帰着し決して公選法の要求する所ではない。同法一四二条の文書の制限は謂うまでもなく選挙運動を目的とする文書についての制限である。かかる目的を有しない文書は附随的効果として特定候補者の当選を有利ならしめることが予想される場合においてもその頒布を制限乃至禁止する法意ではない。若し然らずとすれば個人の場合選挙期間中親を失つた候補者は選挙期間が満了するまでは知人に対し死亡通告の文書も発送できないことになり、選挙は日常普通の社会的社交的行事を禁ずるという反民主主義的奇現象を招来するであろう。又現職に在る知事の如きは知事選が接近している際発生した管内の災害に対しては選挙民に対する利益誘導の疑を恐れて救済のためにする迅速な県費の支弁を躊躇するに至るであろう。極論すれば二選三選を意図する知事が善政を行うこととそれを県内に周知させることとは常に広義の選挙運動であるから違法であるという奇妙な結論も出て来るであろう。
二、判示の本件文章中には県民の御支援御協力を願う旨の文詞が用いられているので、原判決は右文章を含む本件文書を選挙目的文書と認定したものの如くであるが、右文詞は山梨県「県庁だより」においては、これに掲載する年頭年末の挨拶文中知事に限らず県の他公職者の場合にも常に使用されている事実は原審の押第二六号の五並に添附の疏明資料により明かである。而して現行公選制度下における県知事は特別な小数の例外を除き改選の都度何れも二選三選を意図して立候補するのが今日一般の例であるから現職知事の脳裏に平常去来するのは次期選挙の事である。従つてその県民に臨む態度たるや往時の官選時代と異り極めていんぎん鄭重であることは各種議員がその選挙区内有権者に対する場合と一般である。従つて現職知事の県民に対する挨拶は口頭によると文書によるとを問わず常に鄭重であり随所に御支持御支援、御協力を願うと云う文詞の表現されていることは一般議員の場合と同様謂わば紋切型の極り文句であり慣用語であることは世上顕著な通例の事実である。故に本件文章中に右の如き慣用語を使用してあるという一事のみを採り上げ、本件文書が山梨県が行政上の必要に基き発行する定期刊行物であり、発行の時期、方法、部数、配布先等も昭和三二年四月以来(その以前は月三回一、五〇〇部宛発行)全く一定していた事実を全く無視し、本件文書を以て直に天野久候補の当選を得させる目的で使用する文書であると認定することは経験則に反するのみならず川手被告人の起草に係る従来の知事挨拶文中随所に御支持御支援御協力を願う旨の文言が寧ろ必要以上に頻繁に使用せられているがそれは同被告人の作文上の一種の癖であつて選挙のためにかかる文詞を用いたものでないことは添附の前記資料により容易に知り得る所である。
三、本件文書の発送が判示の如く昭和三四年一月八日頃即知事選挙告示の日以後行われたことは本件文書が選挙目的に使用されたことを示すものではない。川手被告人の検事に対する第一回供述調書中には「何時もの様に私が大たい昭和三三年一二月一八日頃にはガリ版ずりの原稿をつくつておきました。その時は新年号で各方面の人の原稿を求めた関係で締切が遅れ同月二六日に締切りこれ等の原稿を一括して持廻りで……決裁を受け……印刷屋に廻したが印刷所の都合や年末年始の休暇に当つた関係で県庁だより九一号の出来上つたのは本年一月七日三〇〇部一月八日一、七〇〇部となりました。その発送は一月八日に課長の決裁を受け即日文書課に廻し同日発送した事は間違ありません」旨の供述記載あるに徴しても本件文書が選挙告示直後を狙つて従つて天野久の選挙運動を目的として頒布せられたものでないことは明かである。
四、以上の理由により原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明かであるからこの点においても原判決は破棄せられねばならない。
(その他の控訴趣意は省略する。)